限りある「命」
昨日、カンボジアでの長期休暇を終えて日本に帰国し、
まず入ってきた知らせは、とても悲しい知らせでした。
会社を創業する前からずっと支えて、応援してくれていた恩師の死。
48歳という若さでの突然の死だったのです。
最後に会話したのが、先々月のアメリカ出張の際でした。
携帯電話に国際電話がかかってきて、他愛ない会話をしました。
「また会おうな」
そういつもと変わらない声が聴こえて、電話を切ったのです。
まさかそのときに、癌が再発していたなんて。。。
いつでも会える。
いつでも話せる。
そんなあたり前に大事な存在だったので、この死を受け入れることができません。
困ったことがあれば、いつでも親身に相談にのって下さって、
助言してくれたり、応援してもらったり、支えてもらったり。
今でも、携帯電話に残る番号に発信さえすればいつもと変わらない声で、
「元気してるか?」
って声が聴こえてきそうなのに。
「命」に限りがあることを、つい忘れて時間を過ごしていた自分。
最後に恩師の声を聴いたときに、もっと伝えられたことがあったのかも
しれない。
少なくとも、
「ありがとうございます」
って、ちゃんと伝えたかった。
これまでのすべてに対して、きちんとそう伝えたかった。
今更悔やんでも仕方がないけれど、もう一度、会いたい。
もう一度、話しがしたい。
命に限りがあることを、つい忘れてしまう自分の忙しい毎日が
悔やまれます。


コメント(2)
忙しい毎日は自分が自分らしくなれるときでもありますが、それを理由に大切なものを見失ういいわけにはしたくないと思っています。
身近で支えてくれるたくさんの人や物事をちゃんと忘れずに過ごしていきたいものです。
一回失ったものや気持ちを本当の意味で取り戻すのは大変なことだと思うから。
恩師の方のご冥福をお祈りいたします。
よしおさん、書き込みありがとうございます。
「忙」しいという字そのものが、「心」を「亡くす」と書きますものね。。。
私はここ最近、すっかり帰ることができずにいる「故郷」のことが、いつも気になっています。
お世話になってきた人たちのことが、常に心にあるのです。
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